おひとりさまの日常

ひきこもり、介護後のひとり言

その時

先日、母を自宅で看取りました。

最後の数日間は、日に日に弱っていく母と過しながら、
ただその時を待っているようで、とても辛かったです。

同じ部屋の中にいたのに、残念ながら、私にはその瞬間は分かりませんでした。

30分前に見たときは、確かに首の血管が脈打っていたのに…

気付いたときには、首の血管の膨らみがなくなり、息をしていませでした。

もっと、母のことだけを考えて、ゆっくり過ごしたかったです。

 

母はずっと病人で、数年前から、医師からも「もう…」と何度も言われていました。

時々、意味の分からないことを言ったりするけど、
寝たきりの90歳にしては、頭はしっかりしていたと思います。

もしもの時のことは、母と何度か話したことがありました。

母の異変に気付いても、私の心の準備ができなければ、
誰かに知らせるまでにタイムラグができるかもしれないこと…

数日とは言わないけど、数時間は…
「それでいいよ」と母は言ってくれていました。

 

実際は、すぐに診てもらえば、もしかしたら息を吹き返すんじゃないか…
とか考えて、イヤ、分かってたんですけどネ…
10分後には訪問看護さんに電話していました。

動き出してしまえば、止めることはできなくなります。

訪問看護師さんが、訪問診療の主治医に連絡をしてくれました。

その日は午後に、往診の予定だったのに…と言いながら、
主治医はその場で死亡診断書を書いてくれました。

その後、訪看さんは簡単な処置をして、
親戚と葬儀屋さんに連絡するようにと言って帰りました。


訪問看護サービスを利用するようになってからは、
もしもの時は「訪看さんに知らせる」と決めていましたが、
それ以前は、母が体調を崩すたびにいつも不安でした。

 

 

葬儀は、会員なので互助会で、と母と決めていました。
祖母の葬儀、姉の結婚式、父の葬儀とすべて同じところです。

親戚は、姉の家族にだけ知らせました。

他の親戚は代替わりなどで、ほとんど付き合いがなくなっています。


葬儀屋さんが来れば、本当にもう止めることはできません。

言われるがままにとはいえ、なるべく簡素にと打ち合わせをしました。

さっきまで、何だったら食べてくれるのかと考えていたのに…
頭の切り替えが大変でした。

 

ずっと介護のことだけを考えて生活していたのに、
突然、喪主としてやらなければならないことなんて、何もわからないです。

普通は、それでも立派な葬儀をするものでしょうか?
それとも葬儀はほかの誰かが取り仕切るのでしょうか?

ずっと、ひきこもってきた私は、
あまり付き合いのない親戚に会ったり、
葬儀を取り仕切る自信はありません。

私と、姉の家族だけの家族葬にしました。


葬儀は簡素でいいと母も言っていたので、
私はこれでよかったと思っています。
不謹慎ですが、コロナ禍で、
いろいろ勧められることもなく、助かりました。