おひとりさまの日常

ひきこもり、介護後のひとり言

姉のこと

姉は去年の夏、亡くなりました。
がんでした。
最後は入退院を繰り返して、
緩和ケア病棟で60歳の誕生日を迎え、
その一ヶ月半後でした。

 

姉の家族は医師から「合わせたい人がいたら今のうちに」と言われたそうです。

うちから姉の家は車で30分以上かかるけど、病院は10分くらいです。
寝たきりの母がいるので、長時間家を空けられません。

会うのなら入院しているうちに…と、
私は姉の子どもたち(姪と甥)と一緒に、
姉の誕生日の直後に病院にお見舞いに行きました。

実は母の介護で疲れ切っていた私は、正直煩わしいと思っていました。
薄情な妹で申し訳ない…

コロナ禍だから面会できないでしょう? と思っていたら、
緩和ケア病棟は、あまりうるさくないそうで…

緩和ケア病棟の個室には、
誕生日を病室で祝った看護師さんたちとの写真が飾ってあり、
バースデーカードのついた花と、母の日の花がありました。

姉は歩いてトイレに行くことができていました。

もう末期であることを姉は知っていたのでしょうか?

そういう話を姉の家族としたことはありませんでした。

ひきこもりの私がお見舞いに行くなんて、
姉が不審に思うのではないかとも思ったのですが、
まあ、私一人で行くわけではないからいいかな…と。


その後退院することができたのですが、またすぐに入院。
姪に連れられてもう一度会いに行きました。

最後の退院の時、病院からまっすぐ家には帰らず、
うちに寄り道して姉は母と会うことができました。
かなりおぼつかない足取りで、ほんの十分ほどでしたが…
母も私もそれが姉と会った最後でした。

 

母と姉が会うことができてよかったと思います。

 

2019年2月、姉の検査入院の保証人になりました。
3月、検査の結果がんだったと知らされました。

がんであることを母には言わない方がいいんじゃないか…
等々、姉は考えていたようです。

しかし! 母がいる部屋で保証人の署名をしているし、
だからもちろん入院したことも知ってるし、
母には言わないって、じゃあ、どう言うの?

とりあえず、「検査の結果入院治療だってさ」と言っときましたが、
結局すぐにがんであることを母に話しました。

母自身、昔がんを取ったこともあるし、乳がんを患ってもいるし、
父もがんで亡くなったからか、特別驚くこともなく、
「ああ、そうなんだ」って感じでした。

両親と姉ががんを患ったのですから、
私もいずれがんになるかもしれません。


治療が始まってからは何度も入院して、
あまり家には来なくなりました。

母は時々、「どうなってるんだろうねぇ」と言ってましたが、
察していたと思います。


私が病院にお見舞いに行くとき、
母には「いよいよらしい」と伝えておきました。

最後に短い時間でも会えて本当に良かったです。

 

姉が亡くなったとき、姉の家族は母にどう話すか、
話さない方がいいのか迷っていました。

私は隠す必要はないと思っていました。

だって、知らされない方が嫌でしょう?

母も知らない方が嫌だって言ってたし…

 

この時だけでなく、病院でも介護でも母のことなのに、
母を通り越して私に話をされるのが嫌でした。

何もわからないみたいに扱われるのが不愉快でした。

 

時々、姉のことを「今、どうしてるんだっけ?」
「戒名はどうなってるの?」
「あっという間に逝っちゃったねぇ」
とか言ってました。

ちゃんとわかってました。

 

葬儀はお通夜が終わった後に、姉に会いに行きました。
コロナ禍の中、通夜振る舞いがなく他の人達が帰った後で。
家に母がいるから、なるべく短時間でと、
姉の顔を見てすぐに帰ってきました。

姉の家は親戚が多く、冠婚葬祭も派手な方です。

コロナ禍でなく、普通の葬儀だったら、
私は行かなかったと思います。

っていうか、コロナだから、簡素な葬儀だから…
逆に行かない理由がないというか…

ホント薄情で申し訳ないと思うけど、
面倒だと思ってもいたので…

良かったのか悪かったのか……微妙です。